差別と平等
令和4年8月
大学病院に入院するには、外来を経てきちんと手続をしても待たされることが多い。私が外科の外来に勤務していた頃、ある粋筋の奇麗どころがいつのまにか入院して、わが物顔に教授室にも出入していることがあった。
当時、正義感の強かった私は、患者は公平平等で差別をしてはいかんと内心腹を立てた。開業した時には「わが病院は自由・博愛・平等をモットーとする」という宣言文を外来待合室に貼り出した。
喜んだのは労務者である。当時、新日本製鉄が君津に進出してきて巨大な工事が始まっていた。全国から労務者が集まったのもその頃である。「この院長は話せる男だ」と評判は上々、患者も増えてきた。「いいか。困ったら金払いは後でも良い。だが、入院したら病院の規則は守ってくれよ」とは言ったものの、残念ながら労務者になる人には無理な注文だった。病室で酒は飲む、寝タバコはやる、当直のナースはドスで脅される始末である。そういう病院には会社の社長はおろか、まともな紳士淑女は来る筈もない。
大学で不平等を憤った新米院長はなす術もなく現実社会の不条理に悩んだ。その時に、モラロジーという総合人間学に出合ったのである。「人間には絶対的平等と相対的な平等がある。明日処刑される死刑囚と内閣総理大臣を比べても命の尊厳は絶対的に平等である。しかし、その処遇は立場によって違うのは当然である。」「三枝先生はどんなに頑張っても一時に街中の患者さんは診られないでしょう。どんな人にも平等に差別のない仁の心を持ちながらも、実際の待遇は親疎の区別をするしかありませんよ」先輩の言葉にそっと待合室の貼り紙を剝がしたのであった。